「もったいない」発想とホーリスム(2)~ ホリスティック特集5

昨日書いた「もったいない」という発想と、

ホリスティックという考え方のつながりは、

私のオリジナルな考えではありません。

 

(今、「もったいない ホリスティック」で検索したら、

 結構たくさん出てきました。

 これを調べ上げたら、面白いかも、と思いました。)

 

この話を聞いたのは、

日本ホリスティック医学協会が主催した、

生活習慣病予防指導士の講座を受講した際、

『粗食生活のすすめ』などで有名になられていた

幕内秀夫氏の栄養学?の話からでした。

 

(この、生活習慣病予防指導士の講座受講が、

ホリスティック医学協会入会のきっかけでした。

20年くらい前のことですが、

それまでは一つも団体には属さない主義でしたが、

これを機に、ホリスティック教育協会はじめ、

6団体くらい、一気に入会しました。)

 

白米ではなく玄米をとか、

大きな魚の切り身ではなく、小魚を頭から食べることによって、

生命を養うための完全な栄養が取れる、

という「全体食」という考え方が、重要視されていますが、

 

これは、元々、

今のような飽食の時代ではなく、

ちょっと間違ったら食うにも困り、すぐに栄養失調に陥って、

餓死する可能性のある、生産性の低かった昔の時代では、

当然の考え方だったということなのです。

 

食べられるものは、一つも無駄にすることなく、

それこそ骨の髄まで味わい尽くす、

過剰に取れたときは、それをどうやって保存し、

食料がなくなったときまで保存するかを考える、

地でとれた物はその地で消費する地産地消とかは

そういった時代では、特別のことではなく、

必要に迫られて出てくる当たり前の生活の知恵だったわけです。

 

それで、他から来た人たちがその原則を破って、

重い病気に掛かったり、死んでしまったという例が、

南米ペルーのトウモロコシを主食にしていた民族や、

アザラシの肉しか食品のないイヌイットの生活に入ったイギリス軍?

の例などで、鮮やかに示され、

とても興味深く聞いたのを、覚えています。

 

伝統的な民族では、生活の必然性から全体食になって、

バランスがとれていたものを、

(おいしい、都合の良いところだけを取って他を残す)

部分食に変えた結果として、

栄養バランスが乱れ、それが命に係わる病気を生み出したのです。

 

そのとき、幕内氏が強調していたのが、

「もったいない」という考え方の重要性だった(と思います)。

 

翻ってみるに、今の時代ほど、

「もったいない」が軽視されている時代はかつてなかった、

とも言えるのではないでしょうか?

 

先日は、プラスチックごみによって、

世界中の海の汚染が深刻な状況になっていることが、

報告されました。

 

私自身、ここ10年くらいは、

平気でペットボトルの飲料水を買うようになっていましたが、

あんなに立派な容器、リサイクルに回すといっても、

作っては壊し、作っては壊しするのは、

とてももったいないことです。

 

私自身、自分では、

一度やったことをやり直して、

また同じことをやるというのは最高に嫌いで、

仕事でそういうやり直しをしなければならなくなったときには、

それだけでその日は立ち直れないくらい、

精神的ダメージを受けるのに、

ペットボトル君には、平気でそれをやらせていたわけです。

 

これを書きながらも、改めて、

アクエリアスでの飲み物とか、

ゴミがなるべく出ないように注意しないといけないなあ、

と思いました。

 

まだ、終わらずに、明日に続きます。