20世紀を生きた2人の偉人、スマッツとガンジー ~ ホリスティック特集9

先の記事を書く際に調べた、

ホリスティックの起源となったホーリズムという概念を生み出した

スマッツの人生、今までも多少は知っていたのですが、

改めて彼の人生を読んで、どんなところから

ホーリズムという概念が生み出されてきたのをか推測したとき、

ちょっと新たな衝撃を受けています。

 

ウィキペディアから、昨日は省略した、

彼のプロフィールの最初に書かれている部分を、

紹介させていただきます。

 

 

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スマッツは1870年5月24日、

英領ケープ植民地のマームズベリーで

アフリカーナーの大農園主の息子として生まれた。

 

ステレンボッシュにあるヴィクトリア・カレッジ

(のちのステレンボッシュ大学)に進学した後、

さらに奨学金を得てケンブリッジ大学に進学した。

 

1895年にケープ植民地に戻ると、

彼はケープタウンで弁護士を開業したが、

1896年のジェームソン襲撃事件に憤激した

スマッツはケープタウンから

トランスヴァール共和国の首都プレトリアへ移住し、

トランスヴァール共和国大統領ポール・クリューガーに、

才能を認められて司法長官の地位に就いた。

スマッツは1899年、トランスヴァール共和国が

イギリスに突きつけた最後通牒を起草した。

 

ボーア戦争が開戦すると、スマッツは

トランスヴァール軍の指揮官の一人としてイギリス軍と戦い、

首都陥落後も・・・抗戦を続け、

戦争末期にはケープ植民地の奥深くを転戦して

ケープのアフリカーナーの反乱を起こそうとしたが、

これは失敗に終わった。

 

ボーア戦争敗北後、スマッツはボータとともに

トランスヴァールのアフリカーナーの指導者となり、

・・・自治回復の運動を繰り広げた。

 

1907年の選挙でアフリカーナー勢力は大勝し、

スマッツはトランスヴァール植民地の指導者となった。

 

トランスヴァールの政権を握ると、

スマッツとボータは南アフリカ4植民地の合同を提唱し、

各植民地も賛同。

 

1910年に南アフリカ連邦が成立すると、

スマッツはルイス・ボータ内閣の内相及び国防相となった。

 

 

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そして、昨日ご紹介した、

「彼は様々な内閣に参加し、

1919年から1924年と1939年から1948年に

南アフリカ連邦の首相となった。

第一次世界大戦と第二次世界大戦時にイギリスの陸軍元帥となる。 」

に続きます。

 

人種差別の最も激しかった(と思われる)南アフリカの地に、

大富豪の息子として生まれた、ということが、

彼の人生を歴史の大きな渦巻きに放り込んだことは、

想像に難くないですね。

 

この経歴を読むと、ほぼ同時期を生き、

南アフリカにも弁護士として赴任したことのある

マハトマ・ガンジー(1869~1948)  のことを思い出します。

 

ウィキペディアによれば、ガンジーは、

 

 

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イギリス領インド帝国、

現在のグジャラート州の港町ポールバンダルで、

当時のポールバンダル藩王国の宰相カラムチャンド・ガーンディーと、その夫人プタリーバーイーの子として生まれた。

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18歳で宗主国イギリスの首都ロンドンに渡り、

インナー・テンプル法曹院に入学。

法廷弁護士となるために勉強する。

卒業後、1893年にはイギリス領南アフリカ連邦

(現在の南アフリカ共和国)で弁護士として開業した。

 

しかし、白人優位の人種差別政策下で、

鉄道の一等車への乗車を拒否され

荷物もろとも放り出されるといった強烈な人種差別を体験した。

 

こうしたことから、

イギリス領南アフリカ連邦の人種差別政策に反対し、

インド系移民の法的権利を擁護する活動に従事するようになる。

1880年代以降、ガンディーは

インドの宗教的叙事詩『バガヴァッド・ギーター』と、

ロシアの小説家レフ・トルストイの影響を受けていた。

 

『新約聖書』の「山上の垂訓」などイエスの思想にも洞察を深め、

「非所有」の生涯を決意。

後の非暴力運動思想を形成していく。

20世紀初頭には、南アフリカ連邦となり、

1913年に原住民土地法が制定されるなど

人種差別政策の体制化が進んだ南アフリカにおいて、

インド系移民の差別に対する権利回復運動を行った。

1908年に初めて逮捕された。

その後、1913年にトランスバールの行進を企画して

初めて投獄された。

しかし、不正を追及して撤廃させ、初めて勝利を手にした。

ダーバン近郊でアーシュラマ共同農園を創設。

そこで、禁欲、断食、清貧、純潔を実践して精神面を強化し、

イギリスからの独立を展望している。

南アフリカでの経験は、

1915年にインドに帰国してからの民族運動にも生かされている。

 

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ということです。

ほぼ同時代を生き、

国は違えどイギリス連邦に所属する植民地の

裕福な指導者の家に生まれ、

イギリス留学後、2年違いで南アフリカで弁護士を開業し・・・

という2人の酷似したキャリア、

 

これで、交流があったかどうかは別にして、

お互いを意識しあわないわけはないですね。

 

そして、

片や、非暴力を通してインド独立を達成させ、

片や、2つの大戦の平和条約に署名し、

2つの国連設立に係わった唯一の人物となって、

ホリスティックという新たなパラダイムの礎をつくった。

 

この2人の関係を、徹底的に調べてみたい気もしますね。

小説家なら、壮大な歴史ドラマが描けることでしょうね。