ソシュール言語学に照らして、考えてみる ~ ホリスティック特集11

11月23~25日、3日連続での

アクエリアスでのオープニングイヴェントに備えて、

ホリスティックについての情報や考えをまとめているところです。

23日(金・祝)に合わせて、何とか「ホリスティック教育」まで

 

進みたいのですが、あと3日しかない。

 

そんな中、「ホリスティックとは何か」とは、

 

直接そんなに関係ないのですが、

今書いている流れの中で、言語のもつ性質について、

学生時代に学んだ、うろ覚えの学問である

ソシュールの一般言語学を用いて、

もう少し整理しておきたいと思います。

 

 

今「ホリスティック」という言葉の周辺で起きている現象を、

言語の生成から維持過程で起きてくる言語記号一般の問題として、

捉えておく必要があると思うからです。

 

 

ソシュールは、言語には、

ランガージュ/ラング/パロール

という3つのレベルがあるとしました。

言語における第1~3様相、と言えるかもしれません。

 

「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」の解説を調べてみましょう。

 

https://kotobank.jp/word/%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A5%2F%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B0%2F%E3%83%91%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AB-1605906

 

 

*******************

 

 

ランガージュ(言語活動)とは、

言語をはじめとする記号をつくり出し使用することを

可能にするさまざまな能力

およびそれによって実現される活動を指す。

 

この能力、活動には、発声、調音など

言語の運用に直接関係するもののほか、

抽象やカテゴリー化といった論理的なものも含まれる。

 

これに対して個々の社会のなかで、

記号のつくり方や結び付け方、

あるいは個々の記号の意味領域などをめぐる

規則(いわゆる文法や語彙)が制度化されたものを

ラング(言語)という。

 

フランス語や日本語といった各国語や、

方言といった単位がこれにあたる。

 

さらにこのラングという枠組みのなかで

ランガージュを機能させることにより実現する、

具体的に発せられた個々の言葉がパロール(言)とよばれた。

 

・・・・・・

 

ただしラングはけっして一方的にパロールを規制するばかりではなく、

実現したパロールの側から影響を受けて変化するものでもあるという、

相互依存的な関係にあると考えられていた。

 

・・・・・・

 

そもそもランガージュ/ラング/パロールの3区分は、

言葉を一つの固定した実在としてではなく、

複合的契機からなる力動的、

弁証法的なプロセスのなかでとらえることを可能にするものであり、

こうしたとらえ方はメルロ・ポンティや

ラカンらによって継承発展させられた。[原 和之]

 

 

*******************

 

 

新しい概念が生み出されるとき、

そこには、現状に違和感を感じ、

それを何とか分かりやすく表現したい、

という意識が存在するはずです。

そこに働くのが、ランガージュです。

 

それによって、一つの概念が生み出され、

具体的にパロールとして実践され、

それが多くの人に承認されて、

ある程度のグループの人たちに

共通認識をもって使われるに至ったとき、

それはラングとなります。

 

それ以降、そのラングに準拠した形で、

パロールの実践的使用が繰り返されます。

 

しかし、各パロールの実践者たちは、

必ずしもラングの標準的な意味を正確に理解しているわけではなく、

また、その言葉を自分たちにとって

都合の良い道具として使おうとする場合には、

パロールはラングから微妙にズラされ、

そのようなパロールの使用が繰り返されることにより、

ラング自体にも、時代的な変遷が起きてきます。

 

良い悪いは別にして、

現状での人間による言語の使用は、

必然的にそのようになるわけです。

 

それが、人間の性(さが)というか、

人間意識と言語記号の関係が生み出す

必然的な現象なのです。

 

どんな言語・言葉にも、こういったことが起きますが、

ホリスティックという言葉で起きているのは、

とても典型的な現象のように思います。

 

 

それに近い例を、スピリチュアルという言葉にも、

見ることができるかもしれません。

 

スピリチュアルの場合、

あるものをスピリチュアルと捉えたときに、

すぐに物象化してしまう、

スピリチュアル・マテリアリズム、

という現象が、よほど注意しないと起きてしまいます。

 

それと同じように、ホリスティックにおいても、

あるものをホリスティックという言葉で捉えたときに、

すぐにアトミスティック化してしまう、

ホリスティック・アトミズム

と呼べるような現象が、よほど注意しないと起きる気がします。

 

私がこれまで、ホリスティックに対する私見を

ウダウダと書いてきたのは、それに対する警戒感が働いているとも、

言えるような気がします。

 

ラングというのは、パラダイムと言い換えても、

(この場合)そんなに違いはないでしょう。

 

パラダイムを生み出した創始者のランガージュを忘れて、

でき上ったラングとパロールの実践だけを繰り返していると、

いつの間にか、その言葉がもっていた生命力が、失われてしまうのです。

 

 

やっとホリスティックという言葉が本格的に普及しだしているときに、

腰を折るような野暮なことを書くな、という声が聞こえてきそうですが、

 

ホリスティックという言葉自体が、

これから物質科学が全盛期を迎えようとする時期に、

その本質的問題点を指摘する鋭敏な感覚をもったスマッツによって

生み出されたことを、思い出してみてください。

 

ホリスティックという言葉が、長らく、そしておそらく現在も、

通常科学を行っている大半の研究者から、

うとましく思われているのは、当然のことでしょう。

しかし、そういったものがあることによってはじめて、

健全な成長が可能になるのだと思います。

 

 

ホリスティックという言葉が方向性を間違え、

時代の真の要請にこたえないものになったならば、

そこにはまた次に、それに代わる新たな概念が

生み出されなければいけない必要性=ランガージュが働き、

やがてホリスティックという言葉は陳腐化する

運命を辿ることにならざるをえません。

 

そうならないために、私たちは、

ホリスティックという言葉が生み出されたときに、

スマッツに働いたランガージュの力を想起し、

ホリスティックという言葉の使用=パロールの実践を

行っていかなければいけないのだと思います。